真手山 健福寺について

鍋島も拝した、
千三百年の祈りの山。

真手山健福寺は、西暦712年、 行基菩薩により開創された古刹。
かつては「真手千坊」と呼ばれる 仏教文化の中心地として栄え、 幾たびの戦火と災害を乗り越えて 再興されました。
関ヶ原の戦いの折には、住職・増琳の 護摩修法が鍋島直茂公の耳に届き、 広大な寺領が寄進されたと伝わります。
今もなお、千手観世音菩薩を本尊に、 祈りの道が静かに受け継がれています。

伝承

ヤマトタケル-真手山に息づく、古代英雄伝説

第十二代景行天皇の命により熊襲討伐にやってきた小碓尊(おうすのみこと)は、この真手の地に陣を張っていた熊襲の首領「川上梟師(カワカミタケル)」を見事討ち取りました。絶命寸前の川上梟師は倭(ヤマト)の国よりやってきた小碓尊の勇猛さを称え、自らの名とともに『ヤマトタケル』の名を献上しました。
また戦いの最後、熊襲が「待て(まて)」と叫んだことから、この地は「真手(まて)」と呼ばれるようになったと伝えられています。歴史と神話が交錯する真手山は、今もなお語り継がれる祈りと伝説の地です。

歴史

祈りと縁起の古刹

古代に雄大を誇った寺域も、1570年大友勢の戦火に焼かれ、1596年には洪水に遭うなど次第に荒廃しました。 しかし1634年河上山実相院座主尊純和尚が移り住み、現在地に再興しました。現在の本尊秘仏『千手観世音菩薩』像はこの際に据えられた物と考えられています。
また江戸時代には 鍋島直茂 をはじめとする 佐賀藩 主 鍋島家 の祈願寺として信仰を集め、藩主自らが参詣されたことも。南方の「真手馬場」の地名は、藩主が馬を松の木に繋いだ逸話から名付けられたと言われます。
境内には、現在は枯れていますが高さ二丈を越える滝もあり、藩主.鍋島治茂・茂子夫妻による歌にも詠まれました。このように、真手山 健福寺は、伝承・自然・信仰の三つが織りなす歴史の地として、今も訪れる者を迎え続けています。

・月にめて帰りもやらぬ こころかな この古寺のまてという名に <鍋島治茂>
・くりためて峯より落ちる 滝のいとの またたくいなき古寺の庭 <鍋島茂子>